「私は其人を常に先生と呼んでいた。
だから此処でもただ先生と書くだけで本名は打ち明けない」
漱石の『こころ』の冒頭部分である。
私にも本名で呼べない先生がいる。
長年「先生」と呼んできたから今更名前などで呼べない。
長年慣れ親しんできたものを変更するのは勇気がいる。
だからいまだに其の人を先生と呼んでいる。
とうに、先生と生徒の間柄はなくなったのだが。
……
還暦間近になって「先生」と呼べる人がいることは幸せなことかもしれない。
付き合いを大切にしていると同時に将来に希望があるということ。
歳を取って勉強しだすと先生はほとんど年下が多い。
セミナーに通っているときは年下の先生に「先生」と呼ぶのは違和感はない。
しかし、セミナーが終わってから「先生」と呼ぶと違和感を感じる。
呼ばれた先生も「もうセミナーも終わったのだから、先生は止めて下さい」といわれた。
でも、先生と呼びたくなるときがある。
それは、きっと、子供の時に呼んだ心地よい記憶が何処かに残っているからだと思う。