田舎に帰って野山を散策してきた。
『来てみればわが故郷は荒れにけり
庭も籬(まがき)も落葉のみして』
16世紀の良寛でさえ「荒れにけり」と詠んだ。
では、21世紀の我々はなんと詠めばいいのだろう。
「破壊されにけり」と詠むしかない。
しかし、自然はタフである。
人間に散々もてあそばれているのに復元力がある。
荒れた土、破壊された山に命が誕生している。
……
いま野山に行くと新しいススキの穂があちこちに立っている。
草花や木々を注意深く見ながら進んでいたら、秋桜が目に付いた。
秋桜といってもコスモスではない。
秋に咲いている桜である。
秋の桜といっても、最近はそんなに珍しくはない。
京都のお寺では、紅葉と桜が一度に見られるところがあるらしい。
珍しくはないけど、ススキの近くに桜の花があるとやはり目を引く。
荒れているけどそんな光景を見るとホッとする。
こんな感情は16世紀も21世紀も変わらないのかもしれない。