道元はなおも問う
「修行とは一体どのようなものですか」
「この世界のすべてはなにも隠すことはなく現れていますよ」
またもや道元は一瞬で理解した。
「真実は一切隠すことなくありのままにこの世に現れているのだから、
修行はこうした現実の生活の営みの中にあるのだ。
そこを離れたら、修行とはいえない」
……
修行そのものが悟りである。
修行するから悟るのではない。
悟る為に修行するのでもない。
生活することが修行なのである。
普段の生活の中に真実があるのである。
ところが、真実を素直に見ることができない為に誤ってみる事になる。
つまり、曇りガラスを通してみることになる。
曇りガラスをはずせば真実が見えるはずである。
ところが、この曇りガラスは中々はずすことは出来ない。
そこに、人間の人間たる所以がある。