初めて喪主を体験しました。
喪主焼香、謝辞など初めて体験することばかりでした。
自慢の義母さんが亡くなったのです。
97歳の大往生でした。
ピンピンコロリで理想的な最後でした。
最後の最後まで自分のことは自分でされました。
息を引取ることも自分でされました。
おかげで、最後を看取ることも出来ませんでした。
死ぬ間際に「ぼそぼそ」と言われたそうです。
何を言われたのか、想像すると胸が詰まります。
一人で最後を向かえて「寂しい」と言われたのかもしれません。
それとも「ありがとう」と感謝の言葉だったかもしれません。
最近は「息のきれん」が口癖でした。
「生きていても迷惑かけるばかりけん、早く息のきれんかね~」
「心配せんでもいいですよ、自然に切れますから」と言っても口癖は収まりませんでした。
今、想いを達成できて満足されていると思います。
あらためて思えば、「息を止める」ということは人間最後の一大事業です。
最後の大事業を完結し満足されていると思います。
つらつら考えてみると、この大事業は本人しか出来ません。
息をするのも、息を引取るのも自分。
有名な精神科医が言っていました。
人間は「生まれる時も死ぬ時も無意識の内にある」と。
はたしてそうでしょうか?
私は「意識の内」にあると思います。
意思を持って息をし、意思を持って息を引取るのだと思います。
息を引取る、ということを厳密に言うと自死なのかもしれません。
誰でも、辛さに耐えられなくて「息を引取る」のかもしれません。
だから、死ぬことを「息を引取る」というのです。
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義母さんは度々ブログに登場しました。
そして、これからも度々登場してくるでしょう。
目の前にいた人が居ないということは実に寂しいものです。
慣れるまで、如何ほどの涙を流せばいいのでしょうか?
初体験の中でも、この体験が一番辛いものでした。