憂いと悲しみと苦しみと悩みのある迷いの世界を生み出すものは、この心である。
心理療法の中心的存在である「認知行動療法」では
「物事は受け取る側のとらえ方によって見え方が違ってくる」とします。
つまり、ザックリ言えば受け取る側の心しだいということになります。
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職場にTさんという真面目で、几帳面で、気が利き、ポジティブな人がいます。
私は、よく面倒を見てもらえるので気に入っています。
ところが、女性陣には不人気ようです。
なんでも「過ぎる」ところが「ウザイ」と思われています。
Tさんという存在はどこから見ても同じTさんなのに、人によって微妙に違うようです。
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『無門関』の禅問答にこんなことが書いてあるそうです。
二人の僧が吹流しを見て激論をしていました。
「あれは吹流しが動いている」
「いや違う、あれは風が動いている」
そこに、六祖慧能がフラッと現れます。
そして、こう言うのです。
「両方とも違う。あなたがたの心が動いているのだ」と。
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「群盲象を撫でる」というのがあります。
また「十人寄れば十国の者」という慣用句もあります。
それぞれ郷里を異にし、風俗、習慣も違います。
それに、性別、考え方が加われば当然心も違うでしょう。
極端に言えば、心しだいでどうにでもなるということです。
この、目に見えない、不確かな心は、果たして、信頼できるのでしょうか?
と、不確かな心で感じています。