今、一番気になる作家は天童荒太。
彼の作品が出るとすぐ買って読む。
最新刊は『悼む人』
意味深な題名。
広辞苑で「いたむ」を引くと「痛む、傷む、悼む」と出てくる。
意味は「苦痛に感じる」「悲しく感ずる」「迷惑がる」
ここで言う「悼む」は「悲しく感ずる」だろう。
主人公は旅をしている。
人の死を悼む旅を。
旅の途中でさまざまな人に出会う。
その内の一人の言った言葉は印象的だった。
長いけど引用してみよう。
「人間が生きる理由は、愛も夢も関係ない。細胞の力だ。原生動物と同じ細胞の
貪欲な生命力が人を生かしている。ヒトという種を残すために発達した脳が、
いわば副作用としてゾウリムシと同等なのを恥じ、愛や仕事の為に生きているだの、
神仏や聖なる存在に生かされているだのと、愚かな言い訳を想像したのさ。
人間の根幹をなす細胞の働きは、欲しいものは奪うか、奪われないように先に攻撃するか、
ということだ。こんなことは大昔から証明済みの事実なのに、今尚人々は妄想へ逃げ込み。
生をもっともらしく語り、死を飾る。多分犬死を怖がっているんだろう。死そのものではなく、
自分の死が無意味だということ、懸命に生きてきた人生が原生動物の死と同じものに帰す、
という真実が怖いんだ」
ツルゲーネフの「父と子」に出てくるニヒリストかドストエフスキィの「地下生活者の手記」に出て
くる主人公のようだ。
世の中を斜に見ている。
しかも、冷徹に!
細胞の働きによって生きているのは真理だろう。
その点において、ゾウリムシと違いはない。
百歩譲ってゾウリムシと同じとしよう。
その時、はたして、生きていることに意味があるのだろうか!
また、死そのものに意味があるのだろうか。
「悼む人」は生きる意味を問いながら旅をしている。
それはある意味、我々と同じかもしれない。
私たちも、生きる意味を問いながら、仕事をし、生活をしている。