「ひとつだって無駄にしちゃいけないんですよ。と子どものころ、くりかえし言われたものだった。
それはパンとか蝋燭のことだった。
今、僕が無駄にしていけないのは、僕が味わった苦しみ、僕が他人に与えた苦しみ……」
( モーリヤック 『ありし日の一青年』 )
上記の言葉を、遠藤周作氏は以下のように変えて考えているそうです。
「ひとつだって無駄なものはないんです……僕が味わった苦しみ、ぼくが他人に与えた苦しみ……
ひとつだって無駄だったものはないんです」
だとするなら、
怠惰に過ごしたときも、
無為に過ごした日々も、
病気で入院したときも、
友達との約束を破ったことも、
嘘をついたことも、
数々の愚考も愚行も、
無駄ではなかったことになる。
なるほど、そうかもしれない。
その時悪かったものほど、後の人生の肥やしになったかもしれない。
悪も善も表裏一体、善もいつ悪になるか分からない。
善もまた同じ。
4年前に腰痛で離職した。
そのお陰で多くの人間を知り、多くの経験を積んだ。
これから、その経験を社会に還元したいと思う。