こころ支援研究所からの*笑顔ブログ*

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信頼関係

私は優柔不断な男だ。

自分でも重々分かっている。

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頼まれたら断れない。

来るものは拒まない。

だから時として誤解を招くことがある。

右なのか左なのか分からない。

「どっちかはっきりしてよ」と言われることがある。

私はどちらでもいいのだが、付き合う側としたらはっきりして欲しいようだ。

何せ、人間が茫洋としているからどうにも出来ない。

文章までもボワ~としてつかみどころがなく、何を言わんとしているのか分からない。

他人が分かる訳がない。

本人でさえ分からないのだから?
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by cocoroshien | 2009-01-31 23:59

講演会

31日は当社始まって以来の講演会。

どんな講演会になることやら。

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無事講演会は終了しました。

巨勢保育園の職員の皆さん、保護者の皆さんありがとうございました。

皆さんの熱心な聴講のお陰で良い講演が出来ました。

【演題】

『親子のイキイキとしたふれあいのススメ』 ~本当の自分を生きてみませんか~

笑いあり、涙あり、真剣さありの有意義なひとときでした。

……

講演会は知識豊かで、教養があるからといって面白いとは限らない。

伝える力がどの程度あるのか、それが問題だ。

今までの経験では、大学の教授の講演はつまらないのが多かった。

それは、大学の教授が言っているのだから大方間違いはない。

ある、教授の言葉は面白かった。

「教授の講演もいいところもある。それは不眠症の人にとってはすごく有効である」と。

なるほど、不眠症の人にとってはいいかもしれない。

ぐっすり眠れるから。

因みに、その教授の講演は面白かった。

……

講演会で忘れられない講演がある。

それは、今はなき作家水上勉さんである。

雄弁ではなかったが、言葉に重みがあり、腹の底に響いた。

演壇に立っている氏の姿がやけに脳裏に残っている。

数年後、氏の訃報に接したときは、他人事とは思えなかった。

……

講演をきっかけに現状から一歩踏み出して欲しいものだ!
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by cocoroshien | 2009-01-31 01:46

ドストエフスキイ

「カラマーゾフの兄弟」は文学作品にしては珍しくベストセラーになった。

最近新聞なんかでも良く取り上げられている。

読書欄でも引用されていた。

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私がドストエフスキイに触れたのは高校のとき。

内容はともかく、名前が好きだった。

最初に読んだのは「貧しき人々」。

高校の倫社の先生に進められて読んだ。

以来、寒々とした、重苦しいような街の描写が好きになった。

登場人物の名前も素敵だ。

「罪と罰」のラスコールニコフに出会った時は、私もラスコールニコフになって街をさまよった。

今読まれているということは、今の時代に必要なのだろう。

不安の時代が彼を呼び起こしたのだろう。


略歴
モスクワの貧民救済病院の医師の次男として生まれ、15歳までモスクワの生家で暮らした。工兵学校生・作家時代を送ったペテルブルクは物語の舞台として数々の作品に登場する。

1846年、処女作『貧しき人々』を批評家ベリンスキーに「第二のゴーゴリ」と激賞され、華々しく作家デビューを果たす。デビュー前のドストエフスキーから直接作品を渡されて読んだ詩人ネクラーソフが、感動のあまり夜中にドストエフスキー宅を訪れたという逸話は有名である。

デビューこそ華々しかったものの、続けて発表した『白夜』『二重人格』は酷評をもって迎えられる。その後、ミハイル・ペトラシェフスキーが主宰する空想的社会主義サークルのサークル員となったため、1849年に官憲に逮捕される。死刑判決を受けるも、銃殺刑執行直前に皇帝からの特赦が与えられて(この一連の特赦はすべて仕組まれたものであった)、シベリア流刑へと減刑になり、オムスクで1854年まで服役する。この時の体験に基づいて後に『死の家の記録』を著す。他にも『白痴』などで、死刑直前の囚人の気持ちが語られるなど、この事件は以後の作風に多大な影響を与えた。刑期終了後、兵士として軍隊で勤務した後、1858年にペテルブルクに帰還する。この間に理想主義者的な社会主義者からキリスト教的人道主義者へと思想的変化があった。その後『罪と罰』を発表し、評価が高まる。

自身の賭博好きな性質、シベリア流刑時代に悪化した持病のてんかん(側頭葉てんかんの一種と思われる。恍惚感をともなう珍しいタイプのてんかん)などが創作に強い影響を与えており、これらは重要な要素としてしばしば作品中に登場する。賭博好きな性質は、ドストエフスキーの生涯を貧乏生活にした。借金返済のため、出版社との無理な契約をして、締め切りに追われる日々を送っていた。あまりのスケジュール過密さのため、『罪と罰』、『賭博者』などは口述筆記という形をとった。速記係のアンナ・スニートキナは後にドストエフスキーの2番目の妻となる。

また、小説以外の著作として『作家の日記』がある。これはいわゆる日記ではなく、雑誌『市民』でドストエフスキーが担当した文芸欄(のちに個人雑誌として独立)であり、文芸時評(トルストイ『アンナ・カレーニナ』を絶賛)、政治・社会評論、エッセイ、短編小説、講演原稿(プーシキン論)、宗教論(熱狂的なロシアメシアニズムを唱えた)を含み、後年ドストエフスキー研究の貴重な文献として参照されることとなった。

晩年に集大成ともいえる長編『カラマーゾフの兄弟』を脱稿。その数ヵ月後の1881年1月28日に家族に看取られながら60歳で亡くなる。

ドストエフスキーの末裔ドミトリーは現在もサンクトペテルブルクで活動中。関東(早稲田大学、東京芸術劇場)、関西(天理大学)で2004年に来日記念講演を行った。


無茶苦茶暇な方は、是非手にとってください。
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by cocoroshien | 2009-01-30 01:53

人間ポリバケツ

江北町にレストランがある。

名前は「やまさき」という人の名前のような店名

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名前は平凡だが味はいける。

ボリュームもあり、お得感がある。

そのレストランで偶然知人の娘さんに出会った。

1回だけならまだしも、2回もあった。

2回目のとき、ひょっとして今日もいるかなと思いつつ入った。

予想は的中してこの前と同じ席にいらっしゃった。

……

有田から鹿島に流れてきたころ下宿をしていた。

油汚れの作業着を洗うのが面倒だったので近くのクリーニング屋さんに頼んだ。

通ううちにクリーニング屋さんと親しくなった。

店先で話し込むことが多くなった。

その内、お茶を飲むようになった。

お菓子が出るようになった。

上がって、お茶とお菓子を食べるようになった。

「残り物でいいね」といってご飯とおかずが出るようになった。

そこには娘さんと息子さんがいた。

やまさきで会った娘さんが、ここの娘さんである。

働き者で口が達者だった。

学生のときから近くのたこ焼き屋でアルバイトをしていた。

その娘さんが私につけたあだ名が「人間ポリバケツ」だった。

名前の由来は想像がつくと思う。

その頃は食欲旺盛で口に入るものは何でも全て平らげた。

娘さんの家の残飯を私がみんな平らげるものだから。

人間ポリバケツといわれるようになったのだ。

命名者の彼女はすっかり大人の女性になった。

相変わらず働き者で掛け持ちで仕事をしている。

健康に気をつけて欲しいと願わずにはおれない。

……

そのクリーニング屋の縁で今の家内と知り合った。

縁は異なもの味なもの!

クリーニング屋と人間ポリバケツの縁は切っても切り離せない。

しかし、今どきこんな人間関係は築けないだろう。

店先でお茶を飲むことなんて許されない。

時世は「時は金なり」で動いている。

ほのぼのとした空間なんて何処にもない。

空間が出来たら、その空間を何かで埋めようと必死になっている。

それが、こころに空間を作っているのも知らないで。

でも、昔には戻れない。

前に進みながら、解決するしかない。

小母さんありがとう。

娘さんありがとう。

ついでに、小父さんも!
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by cocoroshien | 2009-01-29 01:25

かたろう会

かたろう会は国際色豊か。

今回はナイジェリアからのお客さんでした。

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ナイジェリア連邦共和国(ナイジェリアれんぽうきょうわこく)、通称ナイジェリアは、アフリカ西部に位置する連邦共和制国家である。北にニジェール、北東にチャド湖を挟みチャド、東にカメルーン、西にベナンと国境を接する。南は大西洋のギニア湾に面し、かつては「奴隷海岸」と呼ばれた。首都はアブジャ。イギリス連邦加盟国。

アフリカ最大の人口を擁する国であり、乾燥地帯でキャラバン貿易を通じてイスラム教を受容した北部と、熱帯雨林地帯でアニミズムを信仰し後にヨーロッパの影響を受けキリスト教が広がった南部との間に大きな違いがある。また、南部のニジェール川デルタでは豊富に石油を産出するが、この石油を巡って内戦や内紛が繰り返されるなど、国内対立の原因ともなっている。

久しぶりに地図帳を開いた。

ナイジェリアが何処なのか分からなかったので。

北アフリカだと思っていたら、西アフリカだった。

現在長崎大学で日本語の勉強をしているそうです。

今日は、日本語の試験だったそうです。

冗談で、今年の夏は「負けないくらいに焼くぞ~」と言ったら隣のご婦人が大笑い。

私が言うと冗談に取ってくれる。

下手すると問題発言なのだが。

かたろう会のメンバーは国際人。

誰でも受け入れてくれる。

早いものでかたろう会に入会して1年がたとうとしている。

仲間もかなり増えてきた。

ビジネスにもなりかけている。

でも、大部分は遊びだ。

遊びの要素がないとこのような会は長続きしない。

かたろうが8年も続いているのは、遊びの要素がたっぷり含まれているからだ。

国際色豊かな遊びを内包しているかたろう会万歳。

ナイジェリアの客人お元気で!
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by cocoroshien | 2009-01-28 23:25

長崎

長崎に行ってきます。

ブログは帰ってきてから書きます。

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改札口を出ると大きな龍の模型が出迎えてくれた。

長崎はサービス精神に溢れた街。

改札口を出るたびにいつも感じる。

天上からランタンがぶら下がっている。

ランタン祭りの最中だ!

雨がぱらついている。

でも、気にならない。

いつものように路面電車に乗る。

路面電車は乗客に優しい。

ゴチャゴチャした雰囲気ににも慣れてきた。

街にランタンの灯りが灯りだしている。

電車から降りて思案橋の丸山に消えていく。

長崎は今日も雨だった。
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by cocoroshien | 2009-01-27 02:22

社会不安障害

働き盛りに増える『社会不安障害』

未治療による経済的損失は年間約1兆5000億円。

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日本の悪い癖だ。

すぐ経済的な損失を金額に換算する。

そんなことはどうでも良いではないか。

金に換算したからといって治るわけではないのだから。

ニート、ひきこもりでも同じ、経済的な損失を換算していた。

日本は金に換算することによって経済的損失を強調するところがある。

困った悪い癖だ。

そろそろ、金から脱皮すればいいのに。

社会不安障害とは「SAD」と呼ばれる疾病です。

「人前で話をする、文字を書く、食事をするといったときに、強い緊張を感じたり、

手足の震え、動悸、吐き気、冷や汗などの身体症状が起こります。

それを避けるために、会社や学校へ行けないなど日常生活に支障をきたすことがあります。」

かつては、性格の問題として片付けられてきたが、最近は病気として捉え、

治療で改善しようという動きが広がっているそうです。

働き盛りの方に多いのが特徴で、日本人の13%もの人が該当するそうです。

他の不安障害に、パニック障害、空間恐怖症、外傷後ストレス障害等があります。

ほんまに、今の日本はどうなったのでしょうね。

そしてさらに、どうなるのでしょうね。
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by cocoroshien | 2009-01-26 00:40

自画像

彼は布団から手を出して時計を手にしている。

彼は時計を見て布団から出ている。

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彼は部屋を出て右に曲がり、また右に曲がり階段を降りている。

彼は階段を降りて右に曲がり小さな部屋に入っている。

彼は顔を洗っている。

彼は鏡を見ている。

彼は小部屋を出て廊下に出て右側の部屋に入っている。

部屋で若い男と年老いた女性と言葉を交わしている。

彼は食事をしている。

彼は食事をしてから部屋を出ている。

彼は先ほどの小部屋に入っている。

彼は鏡を見ながら歯を磨いている。

……

朝起きて歯を磨くまでの私の自画像。

客観的に見て現在形で書いてみた。

なんて、無味乾燥な生活なのだろう。

ちっとも、面白くない。

しかし、所詮生活なんてこんなものである。

こんなものの生活の連続が人生なんだと思う。

試しに、すごい感動したときのことを頭に描き客観的に見て現在形で述べてみると分かる。

すごい感動したことも、たいしたことではないことが分かる。

逆に、落込んだときも同じようなもの。

たいしたことではないことが分かる。

これを使い分けると、いいかもしれない。

感動したときは、主観的になりよく味わう。

落込んだときは、客観的になり冷静になってみる。

このスキルはNLPで習った。

このスキルをある人にしてもらったことがある。

その人は客観的に述べているのに、涙を流していた。

涙の意味は分からない。

憶測だがその人は、自分の事を聞いてもらったのが嬉しかったのかもしれない。

……

知らないうちに、自分の影を撮っていた。

まさに、自画像!
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by cocoroshien | 2009-01-25 00:29

傾聴

ある、社長夫人の半生記を聞いた。

ほとんどの時間耳を傾けていた。

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商社の生産部を立ち上げた。

順調に行きだしたとき、社長に生産部門の独立を命じられた。

主人と2人で会社を立ち上げた。

世は高度成長期、波にのって業績を伸ばし2年後に有限会社にした。

乳飲み子をおんぶして納品に行ったり、注文をとりに行った。

さらに数年後に株式会社にした。

以来45年息つく暇もなく走ってきた。

そして、今、フッと考えることがある。

主人(社長)を尊敬して一緒に仕事をしてきたが、そろそろリタイアしてノンビリしたい、と。

でも、主人は意に反してそんな考えは微塵もない。

相変わらずパワフルで、休むことを知らない。

ついて行くのに疲れ果ててしまった。

主人は何処まで走って行くのだろう。

いい加減に走るのをやめて、ノンビリして欲しい。

……

奥さんの話を聞いていて思った。

男と女では捉え方がまるで違う、と。

地位も財産もあるのに上手くいかないものだ。

2人手を携えて行くのは難しい。

ゴールには何が待っているのだろうか。
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by cocoroshien | 2009-01-24 00:15

タオル

竹で作ったタオル掛けに一本だけ下がっていた。

その1本のタオルを家族全員で共用していた。

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それほどタオルは貴重品だった。

手を洗ったとき。

顔を洗ったとき。

風呂に入ったとき。

石鹸をつけて身体をこするとき。

風呂から上がって拭くとき。

全て、そのタオルを使った。

今思うとすごく不衛生だし、不便だった。

でも当時は仕方がなかった。

それだけしかなかったのだから。

東京に出て、マイ・バスタオルを持ったときは感動した。

風呂上りにバスタオルを使っていると、リッチな気分になった。

タオルは私にとって、ステータスシンボルだった。
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by cocoroshien | 2009-01-22 22:00