こころ支援研究所からの*笑顔ブログ*

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御誕会

先日久しぶりに田舎の御誕会に行って来た。

何年ぶりだろうか?

思い出せないほど、昔のことである。

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御誕会は親鸞聖人の誕生日のお祝いである。

部落中の子どもから大人までお寺に集まりドンチャン騒ぎをする。

私もこのお祭りは大好きだった。

なぜか?

押し寿司を食べれたからである。

年に1度しか食べることが出来なかったので特に美味しかった。

他に、野菜の煮しめや甘酒なども作られた。

懐かしい思い出の詰まった押し寿司を食べていると自然に昔のことを思い出す。

御誕会には多くの思い出がある。

楽しかった思い出ばかりが!
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by cocoroshien | 2009-05-31 09:09

職業は?

と、聞かれたら自信満々に「カウンセラー」と応えることは出来ない。

そう、応えることに後ろめたさがある。

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最近、「カウンセリング」という言葉をあちこちで聞く。

化粧、保険、衣料、などなどで。

ここで使われている意味は「相談」である。

「心理カウンセリング」とは少し違う。

大きな違いは、アドバイスをするか、しないかだろう。

特に電話で相談を受けているとアドバイスをしたくなる。

アドバイスをすると楽になるのにな、という衝動にかられる。

この衝動に惑わされなくなったら、少しはいい相談員になれるかも知れない。

人間は自分中心に、自分の価値観を元に判断する。

「我も、我もで生きている」

我も、我もで生きているくせに、いざとなるとだらしない。

ついつい、後ろめたさを感じてしまう。
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by cocoroshien | 2009-05-30 08:45

幼馴染

営業先で幼馴染に会った。

年代は違うが幼い頃同じエリアで遊んでいた。

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アポを取ったときそんな予感がした。

担当者の名前を聞いたとき、聞き覚えのある名前だなと思った。

実際にあって話をしているときは明確に思い出せなかった。

何せ小学校のときに会って以来50年も会っていない。

50年のブランクは簡単には消せない。

ところが、会社の玄関を出た瞬間に思い出した。

そうか、目と鼻の先に家があった「マサユキ」だ~、と。

何かが氷解したように、記憶が蘇ってきた。

一体全体この現象は何だろうか?

幼馴染を思い出したことより、記憶が蘇ったことが不思議でならなかった。

幼馴染は5歳年下で小さい頃、前の庭で遊んだ。

その時の面影?

あるわけないでしょう。

孫もいる年なのに!
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by cocoroshien | 2009-05-30 08:27

早起き

早起きは三文の得。

言い古された言葉だがそれ以上の得があると思う。

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でも、宵っ張りの朝寝坊で早起きは苦手である。

昨夜はアルコールが入り、早目に寝たので早く目が覚めた。

布団の上に座っていると次から次に空想が湧き出てきた。

まさに「湧き出る」という表現がピッタリで、とても気持ちがよかった。

朝が早いと一日がスムーズに動き出す。

でも、いい一日になるとは限らない。
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by cocoroshien | 2009-05-28 22:26

長崎

長崎は面白い街。

軍艦島もそのうちのひとつ。

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あちこちに教会もある。

坂道も多い。

それに、ひっきりなしに電車が走る。

歴史と人が混在している。

新しいものの向こうに、古いものが垣間見える。

最近、長崎に行く機会が増えるにつれ興味深くなってきた。

中でも、長崎の教会群は興味をそそられる。

せっかく、長崎で生まれ、長崎で育ち、長崎の近くにいるのだから教会でも調べようと思っている。

長崎は、ほんにいい街だ!
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by cocoroshien | 2009-05-27 22:10

軍艦島

長崎港の沖合いに位置する端島は、南北に480メートル、東西に160メートルという小さな島。

外観が軍艦「土佐」に似ているからこの名前がついたらしい。

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炭鉱閉山後永い眠りについて島ですが、2009年1月15日に世界遺産暫定リストに掲載され、

新しい歴史を刻もうとしている。

かたろう会の講演で軍艦島の歴史を勉強した。

1890年本格的海底炭坑として操業が開始され。

狭い島で多くの人が生活するため1916年日本初鉄筋コンクリート造の高層集合住宅が建設され。

最盛期には約5300人の人々が住み、当時の東京都の9倍もの人口密度に達した。

1974年1月に閉山した後は無人島になっている。

現在は施設を外側から見学できるらしい。

ただし、波が荒いと上陸出来ないときもあるとか。

話を聞いていたら、私も上陸したくなりました。

ついでに、軍艦島研究会にも入りました。
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by cocoroshien | 2009-05-26 21:24

拝啓

風薫る5月も過ぎようとしています。

その後お変わりありませんか。

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忙しいというのは言い訳で、すっかりだらけていました。

窓から見える新緑も幾分濃くなっているようです。

今日は窓をいっぱい開けて車を走らせました。

音をたてて耳の脇を通り過ぎていきました。

あの風とも一生会うことはないだろう。

そう思うと感慨深くなります。

でも、人生はそんなものかも知れません。

二度と会うことはない人と数限りなくすれ違っているのだから。
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by cocoroshien | 2009-05-25 21:04

続続・青いガラス玉

今日、田舎に行ったら従兄弟から叔父さんのことを聞いた。

叔父さんはプールの中で魚雷の実験をしているときに被爆したという。

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てっきり魚雷が爆発したと思ったそうだ。

無数に刺さったガラスの破片の摘出するのは大変だったらしい。

お盆前の暑い日に、摘出手術を受けた叔父さんは帰ってきた。

顔は白い包帯でグルグル巻きにされていた。

どんな気持ちで帰ってこられたのだろう。

想像を絶することで及びもつかない。

摘出手術を受けたといっても、全部を取り出した訳ではない。

皮膚の上からさわっただけで、皮膚の下に埋もれた破片が分かったそうだ。

叔父さんは、それをさわりながら「ここにもまだある」といっていたそうだ。

残っていた破片は結局取らず仕舞い。

それは、時を経て平成の世に現れた。

何というロマン、と言ったら不謹慎のような気がする。

真摯に対峙した当時の人々に悪い。

何はともあれ、叔父さんの死は多くのことを投げかけてくれた。

青い玉は平和の尊さを教えてくれた。
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by cocoroshien | 2009-05-24 22:18

続 青いガラス玉


22日のブログから……

「今でも、ガラスの破片は残っているよ」

と、サラリといった言葉が印象的だった。

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灰の中に混じっていたのはこのときのガラス玉だった。

48年の時を経て命と引き換えに外に出てきたのだ!

原爆の足跡はこんなところにも残っていたのだ。

1つのガラス玉から空想は時空を超えて頭の中をグルグル回った。
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by cocoroshien | 2009-05-23 09:21

青いガラス玉

火葬場から一番最後に娘さんが出てきた。

手のひらで何か大事そうに包んでいた。

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「何?」と言って覗き込んだ。

「ガラス玉?」

白いティッシュの上に小さいガラス玉があった。

骨と一緒に白い灰の中にあったらしい。

ガラス玉を見たとき、時を越えて、薄暗い縁側に座っている叔父さんを思い出した。
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by cocoroshien | 2009-05-22 21:08