こころ支援研究所からの*笑顔ブログ*

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大晦日

今日は21年度の大晦日。

21年度もいろいろなことがありました。

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一番大きな出来事は、ようやく次男が大学を卒業したこと。

まだ、就職が決まってないので落ち着かないが、後は本人に任せるしかない。

もう少し早めに動き出せば良かったのに、と言ったら父に似とるとやろうといわれた。

のんびり屋の私が気になるぐらいに、のんびりしている。

次男に負けて劣らず長男ものんびりしている。

やっと社会人になったと思ったら、自転車に懲り。

そして次はバイクに懲りだした。

先日などは、博多でバイクを買い、それを引き取りに行き、バイクで帰ってきた。

さすがの私も、帰ってくるまで心配した。

玄関に顔を出したときは、マジでホッとした。

こんな訳で21年度は息子二人に振り回された。

この分だと、今年度も彼らに回されそうである。

親になった以上、この運命から逃れられないのかもしれない。
by cocoroshien | 2010-03-31 00:04

かまど

懐かしい光景!

昔は各家庭に必ずあった。

あれから45年、家庭は大きく変貌した。

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知人が手打ち蕎麦をやっている。

今日はその蕎麦を御馳走になった。

一人ではもったいないのでボランティア仲間を誘った。

画像のかまどで手打ち蕎麦をゆでた。

蕎麦は鮮度が命。

主人曰く、「蕎麦は技量より鮮度で決まる」といわれた。

打ったものをすぐにゆで、すぐに食べる。

これが美味しく食べるコツだとか。



かまどの前に座ると、暖かい。

熱いのではなく暖かいのだ。

皮膚を通して体内に染み渡る感じがする。

そんな筈はないのだが、気持ちがそう感じさせる。

小さい頃かまどの前に座り、焚き物をくべた(入れた)記憶があるからだろう。

今の人にこんなことを言ってもわからないだろうが。

昔はいたるところに、原風景があった。

今は、それがない。

IHコンロやガスコンロの前にいてもこころは暖かくならない。
by cocoroshien | 2010-03-30 23:57

役割

誰でもそうだが、いろいろなところで役割を演じている。

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私は今大きく分けて4つの役割を演じている。

父親、夫、営業マン、産業カウンセラーなどなど。

どれが楽で、どれが苦しいというものはない。

ただ、父親としての役割が一番演じにくいかな、と思う時がある。

夫としては今のところうまく演じている。

ただし、これは勝手に思っていることであって、パートナーはどう思っているのかわからない。

営業マンとしては失格だろう。

おそらくノルマを課せられたら達成は出来ないと思う。

今やっている営業はノルマもないし楽といえば楽。

でも、仕事は段々と増えてきた。

産業カウンセラーも失格だろう。

徐々に仕事は増えつつはあるが、独り立ちは出来ない。

上手く演じるにはまだまだ経験不足である。

このように見てくると、人生の半ばはすでに過ぎたのに一人前になっていない。

寂しい限りである。
by cocoroshien | 2010-03-29 01:22

大学生活

ようやく息子が大学を卒業した。

まだ就職は決まっていない。

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大学生活は満喫したようだ。

満喫したのは良いけど、この経験は何か役に立つのだろうか。

人生に無駄なものはないというけど。

本当だろうか?

と、いうようなことを知人に話したら、「役に立つよ」と慰めにもならない言葉をいただいた。

人生よく考えたら、無駄なものばかりのような気がする。

むしろ無駄なものが多いかもしれない。

大学生活なんて、無駄の極地かもしれない。

ただし、キャリアを形成する上でこの無駄が必要なのかもしれない。

だったら、無駄なものはないということか?
by cocoroshien | 2010-03-28 23:16

見えないもの

どうして心理学?

見えないから!

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見えないものには答えがない。

答えがないからいい加減でいい。

見えるものは答えがある。

答えがあるからきちっと答えなくてはいけない。

いい加減にはすまされない。



人間がボワ~~~としているから、答えもボワ~としているものがすき。

はっきり答えの出ないのがいい。

計算できないのがいい。

理論的でないのがいい。

所詮人生なんて計算なんか出来ないのだから。
by cocoroshien | 2010-03-27 01:43

花冷え

この言葉は最も日本的な言葉だと思う。

季節感があふれんばかりに詰まっている。

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不思議なことに桜の花の時期になると寒が戻ってくる。

いや、寒が戻るから桜が咲くのかもしれない。

庫裏の縁側に燦燦と陽が差し込んでいる。

縁側から見える境内には桜が咲き誇っている。

境内に桜の花が舞い落ちている。

その下をお母さんに手を引かれて園児たちが本堂に向かっている。

今日は、保育園の卒園式。

窓の外はポカポカ陽気に包まれているようだ。

でも、ひとたび外に出ると花冷えに包まれる。

冷たい風に乗った花びらが頬をかすめていく。

確か去年は入学式頃に舞っていたような気がする。

今年の入学式の頃は地に落ちていることだろう。

可愛い園児たちが境内に来る頃は葉桜が風に揺れていることだろう。

花冷えもおさまり、爽やかな心地よい風が頬をよぎっていることだろう。
by cocoroshien | 2010-03-26 23:32

役得

電話で話していると、どちらが相談者かわからないときがある。

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こちらが癒されて電話を切るときがある。

先日そんな経験をした。

年は20代前半と言われた。

傾聴というより会話に近かった。

「どうして電話相談をされているのですか」で会話が始まった。

「お父さんと話しているよう」とも言われた。

「普段、お父さんとは話さない」

「お父さんは話を聞いてくれないから」

後は流れるように会話が弾んだ。

私の心も弾んだ。

若い女性と電話で1時間も話す機会なんて普段はありえない。

でも電話相談に入ってから度々ある。

これって、“役得”かなと思う。



電話が切れてから思った。

彼女はどうして電話してきたのだろうか、と。

悩みがある風ではなかった。

でも、悩みがあるから早朝の3時30分頃に電話してきたのだろう。

ただ単に誰かと話をしたかっただけかもしれない。

この、“ただ単に”というのはとても大切かもしれない。

悩みは多分この『ただ単に』をおろそかにした結果だと思う。

だから『ただ単に』をおろそかにしないことだ。

何かあったら溜め込まないで誰かに話すこと。

頭の中をすっからかんにしておくことだ。

そしたら、悩みも深くならないだろう。
by cocoroshien | 2010-03-25 22:28

歓喜

産業カウンセラー試験の合格通知が来た。

こんな通知を受け取ったのは久しぶりである。

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とても嬉しくて妻に何回も言った。

友達にメールで知らせた。

「おめでとう」の返信メールが来た。

難関の試験でもないのに、受かるとやはり嬉しい。

この単純なる喜びを胸に次のホップにアタックしたいと思う。

残りはステップとジャンプ!

何とか還暦までにクリアしたいものだ。



昨日の声蘭に76歳の御婦人の投書が載っていた。

「燃えるような恋がしてみたい」とあった。

実に大胆な言葉。

やはり御婦人はすごい。

合格通知書ぐらいでは喜んでいられない。

御婦人に負けないように大胆になろう!

と、単純に思った。
by cocoroshien | 2010-03-24 13:43

ふるさと


        『来てみればわが故郷は荒れにけり

         庭も籬(まがき)も落ち葉のみして』

                            良寛

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今も昔もそんなに変わらない。

山菜を取りながら海岸線に降りていった。

普通、今の時期田んぼは開墾されている。

早いところは水が張ってある。

ところが、どの田んぼも草がぼうぼうに生えていた。

田んぼに続く道も草がぼうぼう。

思い出がいっぱい詰まったところが荒れるのは心もとない。

でも、センチになっても仕方がない。

現に米を作る人がいないのだから。

兄にそのことをいったら、「帰ってきてお前が作ってよかよ」と言われた。

あれほど熱く農業のことを語っていた兄。

もう、未練もまったくなさそうである。

こうやって、ふるさとは荒れていくのだろう。

たまに返ってきた者があれこれ言う資格はないが、寂しい限りである。

時代は変わってもふるさとに対する思いは変わらない。

ふるさとは遠きにありて想うもの!
by cocoroshien | 2010-03-23 14:48

みな拾い

『みな』はニナの古名で、巻貝の一種。

海岸の浅瀬に生息し、潮が引いたとき岸辺で採る事ができる。

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小さい頃潮時(干潮)になると海岸線は潮干狩りする人が増えた。

この時ばかりは農家の人も仕事の手を休めて潮干狩りに出た。

今と違って当時は色々な貝がふんだんに取れた。

そのほか、海藻類も捨てるほど取れた。

みなもウジョウジョいた。

貝を採るには掘る道具が要るが、みなは何も道具は要らなかった。

そのため、みなを採るのは子どもの役目だった。

夕方潮の引いたのを見計らって海岸に下りていった。

潮が満ちてくるまでの短い時間夢中になってみな拾いをした。

誰が一番多く拾うか競争をした。

春先の水もまだ冷たく、海岸線をなめる風もまだ冷たかった。

そんな中、黙々とみな拾いをした。

潮が引いていくのも早かったが、満ちてくるのはもっと早かった。

夢中になって拾っていると、潮が満ちてくるのもわからなかった。



今日、妻と潮干狩りに行き、同じような体験をした。

満ちてくる潮と、薄暗くなる夕暮れに追われるように海岸から上がってきた。

ただ、違っていたのはそこにはまったく子どもがいなかったことである。

それが、社会にとって良いのか悪いのか、それはわからない。
by cocoroshien | 2010-03-22 11:36