こころ支援研究所からの*笑顔ブログ*

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大晦日

明るい話題で締めくくろう。

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先日全盲の友人からメールが来た。

全盲の人からメール?

と、不信に思われるだろうが、今は全盲の人もメールができるソフトがあるのだ。

話には聞いていたが、まさか自分のところに全盲の人から来るとは思いもしなかった。

また、友人が全盲になるとは思っても見なかった。

・・・

友人に初めて会ったのは定時制高校の時。

私が3年の時入学してきた。

私は4年遅れて高校に入学したが、彼は6年遅れて入ってきた。

学年は違っていたが生徒会活動を一緒にするようになって話をするようになった。

彼の真摯で誠実な生き方に随分教えられた。

学歴はなかったが、洋画家としてプロの腕前を持っていた。

また、系統立った知識はなかったが、宗教、文学、哲学に雑多な知識を持っていた。

絵を書いていないときは、読書をしているという具合で、とにかく本が好きだった。

そんな彼から、視力が低下していると聞いたのは数年前。

愛知県岡崎市での個展が終わって展示会を後にするときだった。

夕暮れどき、彼の手を引いて駅まで連れて行った。

その時、いつか、完全に視力がなくなるかもしれないと彼は言た。

それが、現実のものになろうとは思いもしなかった。

・・・

電話の向こうから「完全に失明したよ」と笑い声がした。

その言葉を聞いてホロリと来た。

彼はいつもそうだった。

どんなに困難な場面に立たされても、屈託なく笑っていた。

大好きな絵もかけないし、本も読むことができない。

さぞかし落ち込んでいるだろうと思っていたらそうでもなかった。

既に次のステージに向かって準備をしていると快活に語った。

それを聞いたとき、この人は本当にすごいと思った。

『失明』は最大最高の災難だと思う。

しかし、彼は災難だとは思っていないようだ。

「人生の転換期だ」

「第二の人生の始まりだ」

「初心にかえって誠実に生きるよ」と言った。

通常、友人の失明なんて暗い話題である。

しかし、友人の言葉を聞いていると、今年一番の明るい話題だと思った。

文章を書くのに慣れてきたら、本でも書くよと言った。

彼のことだからきっと実現すると思う。

今から、楽しみである。
by cocoroshien | 2012-12-31 00:17

青竹

早いもので、義母さんが亡くなって15日が過ぎた。

この15日間ボンヤリと過ごした。

一気にやってきて寒気に背中を丸めながら。

今日は朝から生憎の雨模様。

ますます背中を丸め、行きかう車の水しぶきを見ながら身震いをした。

下から、時折妻とその友達の笑い声が聞こえてきた。

時は、癒しの時は確実に過ぎている。

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昼食後、物憂い気持ちを奮い立たせ片づけをしようと思い物置に行った。

物置の片隅にこの前田舎に行ったときに切ってきた孟宗竹があった。

気晴らしに青竹踏みを作ることにした。

先ず節から節まで鋸で切断。

それをナタで割って2分割にした。

接地面を平らにしてガタをなくした。

仕上げはサンダーで節を平らにして磨きあげた。

合計4本作った。

休み明けに職場に持っていって配りたいと思う。

物づくりは癒し効果がある。

作っている間、全てを忘れ集中できた。

竹の生温い香りをかいだ時昔のことを思い出した。

冬は学校から帰るとカバンは放り投げて山に入った。

竹を切って、カゴを作ったり、罠を作った。

竹は、節から節まで区切りがあって使いやすかった。

「竹を割ったような性格」というようにパキンと音をたてて真正直に割れた。

割り面は、シンプルですっきりしていた。

そういえば、小学のときから片想いだった彼女の名前にも節がついていた。

竹のような性格かどうかは当時は分からなかった。

今は・・・・・・
by cocoroshien | 2012-12-16 01:17

徒然なるままに・・・

初めて喪主を体験しました。

喪主焼香、謝辞など初めて体験することばかりでした。

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自慢の義母さんが亡くなったのです。

97歳の大往生でした。

ピンピンコロリで理想的な最後でした。

最後の最後まで自分のことは自分でされました。

息を引取ることも自分でされました。

おかげで、最後を看取ることも出来ませんでした。

死ぬ間際に「ぼそぼそ」と言われたそうです。

何を言われたのか、想像すると胸が詰まります。

一人で最後を向かえて「寂しい」と言われたのかもしれません。

それとも「ありがとう」と感謝の言葉だったかもしれません。

最近は「息のきれん」が口癖でした。

「生きていても迷惑かけるばかりけん、早く息のきれんかね~」

「心配せんでもいいですよ、自然に切れますから」と言っても口癖は収まりませんでした。

今、想いを達成できて満足されていると思います。

あらためて思えば、「息を止める」ということは人間最後の一大事業です。

最後の大事業を完結し満足されていると思います。

つらつら考えてみると、この大事業は本人しか出来ません。

息をするのも、息を引取るのも自分。

有名な精神科医が言っていました。

人間は「生まれる時も死ぬ時も無意識の内にある」と。

はたしてそうでしょうか?

私は「意識の内」にあると思います。

意思を持って息をし、意思を持って息を引取るのだと思います。

息を引取る、ということを厳密に言うと自死なのかもしれません。

誰でも、辛さに耐えられなくて「息を引取る」のかもしれません。

だから、死ぬことを「息を引取る」というのです。

・・・・・

義母さんは度々ブログに登場しました。

そして、これからも度々登場してくるでしょう。

目の前にいた人が居ないということは実に寂しいものです。

慣れるまで、如何ほどの涙を流せばいいのでしょうか?

初体験の中でも、この体験が一番辛いものでした。
by cocoroshien | 2012-12-05 22:54