度々登場の我が家の義母さん。
羨ましいと思うことがある。
それは、96歳になっても普通の生活が出来ること。
フツウに朝起きて。
フツウにトイレに行き。
フツウに洗面をして。
フツウに食事が出来る。
フツウにゲートボールをして。
フツウに買い物にいく。
フツウに自分の下着は洗濯し。
フツウに自分の食べたものは片付ける。
私が出かけるときは、フツウに「どこ行くとね」と聞き。
孫の帰りが遅いと、フツウに心配して「おそかね」という。
サッカーの試合を見ては、「点が入らんね」とイライラし。
水戸黄門を見る見ないで、娘と論争し。
負けても、シラーっとしている。
……
ただひとつフツウでないのは、「迎えがこんね」ということぐらい。
フツウの生活が出来ることが、どんなにありがたいか身近にいるとよく分かる。
連れ合いが亡くなって25年。
今でも感謝の気持ちを忘れてはいない。
「フツウの生活が出来るのも、お父さん(夫)のお陰」
と、言って仏壇に手を合わせる。