年甲斐もなく感傷的になることがある。
脳梗塞で倒れた母を月に2回ほど訪ねている。
行くたびに反応が鈍くなっていく母を見ているとこちらまで空しくなっていく。
今日もいつものように見舞い、帰るときに靴の紐を結んでいたら止めどなくなく涙が落ちてきた。
こんなことは初めてだった。
熱のせいか、今日は一段と反応が鈍かった。
反応が鈍いと無性に寂しくなる。
涙の訳は大部分寂しさからだろう。
しかし、そればかりでもないかもしれない。
昨日、去年なくなった友人の一周忌の通知が届いた。
早いもので、1年がたってしまった。
私の中ではまだ未処理の状態。
そしてもうひとつ、生涯の友からメールがきた。
これら3つのことが重なって感傷的になっていたのかもしれない。
涙の訳は、重複した感傷にあったのかもしれない。