こころ支援研究所からの*笑顔ブログ*

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お寺の裏庭

お寺の裏庭は昔からちっとも変っていない。

苔がはえて、ひんやりとしている。

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父の法事で久しぶりにお寺に行った。

本堂をすぎて細い廊下をすべるようにして裏庭の見える所に行った。

何処もそうだが、池があり、蓮が植えてある。

あの、シチュエーションを見ると『くもの糸』を思い出す。

涼しい風が廊下を渡っていく。

いつも、お寺に来て思うのだが、どうしてお寺は涼しいのだろうか。

小さい頃、お寺には霊気が漂っているからといわれた。

それを真に受けて納得していた。

そして今も、あながちウソではないような気がする。

何かが、漂って、冷気を送っているような気がする。

だから、夏の暑い盛りに行っても涼しく感じる。

それに、岩に張り付いた苔を見ていると、ますます涼しくなる。

お寺は、涼むにはもってこいのところだ!
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by cocoroshien | 2011-07-11 21:49

やはり中高年は

やはり、中高年はストレスに弱くなった。

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間違いなく、中高年はストレス耐性がなくなった。

理由は簡単だ。

たぶん、新入社員を2回経験しなくてはいけないからだ。

1回目は10代後半から、20代前半にかけて。

2回目は還暦の頃に。

1回目は問題はない。

若いし、仕事が出来なくても、当たり前と思われるし、皆に可愛がられる。

それに比べ、2回目は大変である。

還暦を過ぎて新しいことを憶えなくてはいけない。

それも、心身共に衰えていくときにである。

なかには、経験を生かしてスムーズに離陸をしていく人もあるだろう。

しかし、そんな人は稀で、ほとんどの人は離陸に苦しむ。

離陸に失敗すと墜落ということになりかねない。

昔は、定年を終えると、ほとんどの人が悠々自適の生活に入れた。

だが今は、定年を終えても、更に働く必要がある。

しかも、若い人に、教わりながら。

ソフトランディングしたと思ったら、また離陸をしなくてはならない。

離陸をするためには、相当のストレス耐性が必要になる。

まさに、中高年にとって、これからが正念場である。
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by cocoroshien | 2011-07-10 21:47

大学は出たけれど

大学は出たけれど?

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古き良き時代の流行語ではない。

現実に起こっていることだ。

今年の春大学を卒業した人で4人に1人は就職も進学も出来なかったらしい。

超氷河期といわれた時代よりも悪いらしい。

大学全入時代になって大学生の数が増えたこと。

推薦やAO入試が増えたため学力が低下していること。

小さいときからのキャリア教育が進んでいないこと。

などなど、色々あるが、やはり景気の動向が一番だろう。

景気さえ回復すれば、一気に解決はすると思うが、

果たして、どうなることやら。

結局、日本は、金の力を借りないと解決できない、国に成り下がったのかもしれない。
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by cocoroshien | 2011-07-09 21:44

5月の自殺

5月の自殺者数が昨年に較べて19.7%増えたらしい。

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原因は震災の影響ではないらしい。

報道のあり方が原因ではないだろうかと言われている。

ある有名タレントの自殺と報道のあり方に問題があったのでは、と。

その理由として、本来7対3で男性の自殺者が多いのだが、

5月に限ってみると、女性の、しかも若い人の自殺が増えたらしい。

報道のあり方は前々から問題になっているが、

日本ではまだ『自殺報道ガイドライン』の存在すら知られてないらしい。

早い対策が望まれるところだ。

しかし、どうして日本は、こんなにも恵まれているのに、自殺をする人が多いのだろう。

私は、このことが自殺報道より気にかかる。
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by cocoroshien | 2011-07-08 21:38

供花

クゲとも読むらしい。

仏前に花を供えること。また、その供えた花。

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瞑想をやりだして2ヶ月になろうとしている。

今では、座らないと落ち着かないところまできた。

座るという行為は単純な動作なので、座ったからどうなるものではない。

『只管打座』:ただ座る。

日常にこんなことがあってもいい。

目的も、目標も、何もないことが。

仏様の前に座っていると、花のない花瓶が気になった。

花を供えると、枯れていく花が気になった。

今では、毎日水を取り替えている。

仏様の前に座ると、いつの間にか亡くなった人のことを思い出していた。

そして、亡くなった人の分まで生きようと自然に湧いてきた。

これが、純粋な宗教かもしれない、と勝手に考えている。
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by cocoroshien | 2011-07-07 20:14

エリート

自尊心を傷つける人はエリートに多いかも知れない。

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と、決め付けるのは短絡的だろうか?

更に決め付けると、自尊心を傷つけられた経験を持っている人かもしれない。

エリートは失敗の許されない世界で生きている。

なぜなら、失敗をすることはエリートでないことを意味する。

失敗でもしようものなら、屈辱を味わうことになる。

屈辱を味わうことは、自尊心を傷つけられるに等しい。

そんな世界で長年生きているとそれが日常化し、

人の失敗に対して寛容を失ってしまう。

だから、失敗でもしようものなら「ガキの……」と暴言を吐いてしまうのだ。

それは、味わった屈辱を、誰かに転嫁するようなものである。
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by cocoroshien | 2011-07-06 23:59

なぜ、カチンときたのか。

多分、自尊心にグサッときたからだ。

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誰にだって自尊心はある。

その自尊心を傷つけられたのだからグサッとくるのは当たり前である。

しかし、人間は自尊心が大切なことが分かっているのに、

どうして自尊心を傷つけるようなことを平気でいうのだろう。

それも、学識があって、地位の高い人に限って。

私は、職人の世界で40年ほど過ごしてきたが、そんな人に会ったことはなかった。

失敗をして怒られたことは数限りなくあったが、自尊心を傷つけられることはなかった。

エリート意識が高いほど、自尊心を傷つけることを平気でいうのかも知れない。
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by cocoroshien | 2011-07-05 23:21

ガキの使い……

今日は少し自尊心を傷つけられた。

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どう処理していいのか分からないことがあったので、上司にお伺いを立てた。

会話の内容は省くが、最後にこんなことを言われた。

「ガキの使いではあるまいし、よく理解してから来てください」と。

よく理解しないで行った私に非があるのは認める。

それは、会話の中でよく分かった。

しかし、最後の「ガキの使い……」は私に落ち度があったとしても言いすぎだと思った。

冗談で言われたのなら聞き流すことも出来た。

しかし、真剣に言われたので聞き流すことも出来なかった。

私は民間の会社で40年過ごしてきた。

色々な人に、色々なことを言われてきた。

だから、怒られたり、言われることについては慣れているつもりでいた。

ところが慣れているつもりの私もカチンと来た。

なぜ、カチンと来たのだろうか?
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by cocoroshien | 2011-07-04 22:28

スナック

スナックも様変わりした。

昔はカウンターに座って、静かに話しながら飲んだ。

ほとんどが会社の愚痴だったり、上司の悪口だった。

たまには、人生や、社会のことについて話した。

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でも、今は、違う。

ほとんどがカラオケ設備がしてあり、ガンガン音がなり響いている。

誰かが常に歌っている。

歌が、鳴り止むことはない。

自分の順番が来るのを、今か今かと待っている。

じっくり、飲みながら話すという環境はなくなった。

おそらく、こうなったのは時代の要請だろう。

誰かが言っていた。

「歌とは、恥ずかしくて言えないようなことを大声で唄うこと」だと。

何か、分かるような気がする。
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by cocoroshien | 2011-07-03 00:09

カラオケ

月に一度何らかの会に参加している。

会が終わった後の二次会は決まってスナック喫茶である。

其処では、決まってカラオケが始まる。

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聴く曲もそうだが、歌う曲も若い頃と違ってきた。

若い頃は、サッパリとしたフォークがよかった。

演歌は何か脂ぎっていて好きになれなかった。

でも、最近は、フォークはサッパリしすぎて何か物足りない。

多少は脂ぎっているほうが良くなってきた。

この変化は何だろうか?

やはり、年のせいだろうか。

だったら、くわばら、くわばらである。
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by cocoroshien | 2011-07-02 23:30