こころ支援研究所からの*笑顔ブログ*

徒然なるままに

3月3日、ブログを書いた後に気づいた、ひな祭りだったことに。
e0127995_21171428.jpg


小学2年の時だったと思う、学芸会で五人囃子をやったことがある。

最後まで我慢しなさい、と先生に言われて鼓を肩に乗せていた。

台詞もまだ覚えている。

「お姫様何かして遊びましょうか」

「鬼ごっこがいいや」

そこで私が「そんなの詰まんないや」と言った。

ただ、これだけのシーンなのに頭に焼きついている。

何回も練習した記憶がある。

「鬼ごっこがいいや」と言った奴は竹馬の友である。

母親同士が兄弟だったので、お腹にいるときからの付き合いだったと思う。

お腹から出て来て今年で57年目になるが、今でも念に2~3回は会う。

昔は毎年ひな祭りのときは、雛人形を飾っていた。

ひな壇に雛人形、調度品を飾るのは楽しみだった。

一体、一体、箱から取り出し、やわらかい紙を取り除く瞬間は何故かウキウキした。

妹がひな壇の前に座り、写真を撮ってもらっていた。

その写真を後で見たのだが、白黒で薄茶がかっていた。

小さい頃に見たものは、もっと鮮やかだったような気がした。

時がたつと、何だって色あせるんだ。

竹馬の友も、私も随分色あせた。

あせないように気をつけてはいるが、こればかりは仕方がない。

でも、一日、一日を大切に生きようと思ってはいる。

100歳まで生きるとして、あと47年は生きられる。

あと半世紀、かなりのことができそうだ。

生まれ変わったつもりで、人生に再チャレンジ。

残りの人生、のた打ち回るのもいいだろう!
[PR]
# by cocoroshien | 2008-03-04 22:10

良寛さん

良寛さんは、良寛でもいけないし、良寛様でもいけない。
やはり、良寛さんだ!

良寛ではおこがましいし、様をつけると似合わない。
やはり、良寛さんがピッタリ来る。

そんな、良寛さんの生き様を覗いて見よう。

e0127995_20582721.jpg


良寛さんは1758年、江戸幕末の文化・文政期に越後(新潟県)に生まれた。
同時代の人に、小林一茶、モーツァルトなどがいる。

良寛さんといえば、「かくれんぼ」「手まり」などをして、子供たちと遊んだ人として思い浮かぶ人が多いだろう。それもある意味良寛さんらしい。

しかし、良寛さんの真骨頂は「自由闊達に生きた」生き方にあると思う。
封建制の不自由な時代に「自由な生きかた」を貫いた良寛さん。

禅僧の印可の偈(修了証)を授けられながら住職にもならず、
組織にも属せず、地位や名誉や金品をむさぼることもなく優遊と生きた良寛さん。

小さな借家に住み、ボランティア僧として地域に溶け込み、地域の人に愛された良寛さん。

私は、良寛さんほど摩訶不思議な人はいないと思う。
親鸞、道元、日蓮のように何かを残した訳でもない。

にも関わらず、何故後世に名を残すほどの人望があったのだろうか。
たしかに、書や、詩歌、短歌も一流らしい。

しかし、それにしても、単なる地方の僧に変わりはなかったのだから。
そんな良寛さんには、何故、何故、何故がいつも付きまとう。


「君や忘る道や隠るるこのごろは
        
        待てど暮らせど訪れのなき」(はちすの露) 

良寛さんが70代のときに、尼僧貞心尼に宛てた歌である。

「あなたをお待ちしていたのに、私の庵へ来る道をお忘れか。
近ごろはあなたのことばかり思って、待ち暮らしているのに何の知らせもない」

おいらくの恋である。真剣さがひしひしと伝わってくる。
と同時に、僧らしからぬ人間味が伝わってくる。

良寛さんは、私にとって汲めども、汲めども尽きぬ泉である。
良寛さんのように、自然に振舞えたらどんなに素敵だろう。

と、思いつつ、ため息をつく!
[PR]
# by cocoroshien | 2008-03-03 22:29

メジロ

スズメ目メジロ科の鳥。
スズメより小さく、背面は緑色、目の周囲は白色。

のどは黄色、腹部にかけ白色となる。
低地の林に小群をなし、さえずりは美しく、籠鳥として飼われた。

小・中学生の頃、冬になると山にこもってメジロ捕りを楽しんだ。
罠を仕掛けたり、鳥もちでとったり。

仕掛けた罠に、メジロがかかってないか見に行く。
ワクワクしながら罠を見る、かかっていた時の感動はなんともいえなかった。
あの、感動はなんと表現すればいいのだろう?

土曜日の4時間目ともなると落ち着かなかった。
早く山に行って、罠にメジロがかかってないか見たかった。

家に帰るのにわざわざ山を通って帰るときもあった。
毎日が、ワクワクドキドキの連続であった。


この前そのワクワクドキドキを少し味わった。
メジロが里に下りてきていたのだ。

6羽ほど庭木を伝って遊んでいた。
たまに美しい声を張り上げて。

色が葉っぱに似ているので、見つけにくい。
葉っぱが揺れるところを凝視すると見つけることができる。

単純な色なのに美しい。
緑と、黄色と、白のコントラストはなんともいえない。

まさに、自然が作り出した作品である。
色がスタイルとマッチしている。

スリムなスタイルが益々緑を際立たせている。
のどの黄色を際立たせている。

メジロはこれ見よがしに遊んでいる。
まるで、見せびらかしに里に下りてきたみたいだ。

そういえば、昔からそうだった。
春が近づくにつれ、下にきていたような気がする。

山に餌がなくなってきたからかもしれない。
それとも、春を告げに来たのだろうか。

四季の移ろいに疎くなった人間に告げるために。
[PR]
# by cocoroshien | 2008-03-03 00:59

葉隠れの里

山本常朝 『葉隠』の中の言葉

e0127995_21473699.jpg


「人の一生は僅かなことなり 好いた事して暮すべき也 夢の間のつかの間を 
好かぬ事して苦を以て 暮すは愚なる事なり」

好いたことをするのは当たり前のことである。

行徳哲男先生は「一番素敵なものは当たり前の中にある」と仰いました。

なるほど、その通りだと思う。

道に迷ったら、それが好きか嫌いかで判断しなさいと言われた。

好きだったらすればいいし、嫌いだったらやめればいい、と。


葉隠れの里にも春が近づいている。

民生委員の研修会で佐賀市の文化会館に行ってきた。

お昼に外にでた、寒いというより心地よい風が吹いていた。

街路樹は葉を落として寒そうにしている。

しかし、内部では淡々と春の準備をしているのだろう。

それを見せないところは、心憎い。

と、勝手に考えるのが人間だ。

街路樹は何も考えはしない。

ただ、そこにあるだけ。

自然に!


葉隠れの里に春が近づいている。

26回目の春が!
[PR]
# by cocoroshien | 2008-02-29 23:08

はかる

測る、量る、計る、図る、諮る、謀る

e0127995_14125774.jpg


画像は万能測定器『ノギス』です。

測るツールの一種です。

左上のとがった部分で、内径、溝幅、を測ります。

左下の部分で、厚み、長さ、幅、を測ります。

右側の突き出た部分で、深さを測ります。

ノギスはポルトガルの数学者Nonius(1942~1477)によって発明されました。

主尺と副尺とに分かれ嘴のようなもので、物を挟んだり、物の内側に当てたりして、

物の長さ・厚さ・球や穴の直径を測ります。

この測定器は0.1ミリまで計測することができます。

この測定器の発明によって、精密に測ることが一段と向上したと思います。

それは、生産性の向上に結びつき、測るというストレスを緩和させたかもしれません。

発明後の200年後にイギリスで産業革命が起こっています。

あくまでも憶測ですけど、ノギスがなかったら革命は起こらなかったかもしれません。

起こったとしても、遅くなったことは間違いないでしょう。

これを、数学者が発明したと言うのも面白いです。

発明したきっかけはなんだったのだろう。

立体のものを測るのに、必要性を感じたのでしょう。

サイコロの角から角を測るのは、物差しでは無理ですからね。


「はかる」を辞書で引いたら上記しているようにいろんな意味がありました。

基本的な意味は、

「仕上げようと予定した作業の進捗状態を数量・重さ・長さなどについて見当をつける意」です。

共通している意味は「見当をつける」のようです。

人間は見当をつけることによって、次のことを考えたり、行動を起こします。

はかることは、行動の原点でした。

行動の原点を教えてくれた、ノギス君ありがとう。
[PR]
# by cocoroshien | 2008-02-28 15:21