こころ支援研究所からの*笑顔ブログ*

友人

彼に初めて会ったときのことはよく覚えている。

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高校の時だった。

教室の入り口で立ち話をした。

生徒会の役員を依頼しに行ったのだ。

以来35年、遠距離友情である。

今日、その友人から油絵が届いた。

「20年前に描いたものだが、どこにでも飾れそうだから」という手紙と一緒に。

カウンセリングルームにふさわしい絵を送ってもらった。

薄いピンク色の花と緑色の葉の浜昼顔だ。

以心伝心と言うのだろう。

カウンセリングルームができたとき、友人に絵を頼もうと思っていた。

先の話になるが、今年の12月に岡崎市美術館で個展を開くそうです。

12月の楽しみが、一つ増えました。

「人は誰でも自分に生きる以外にいかなる道もありません。

だから、良くも悪くも自分を受け入れることからしか本当の人生は始まらないと思ういます。

カウンセリングは自分を受け入れることを教えることかもしれませんね」

と、便りは結ばれていた。

まったく、その通りだと思います。

自分を受け入れることが旅立ちのときです。
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# by cocoroshien | 2008-02-26 23:01

メンタルヘルスケア

各企業における温度差

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今月の14日から各企業を回り、メンタルヘルスケアの導入を進めている。
痛切に感じるのは、各企業において捕らえ方に大きな開きがあること。

メンタルヘルスという言葉自体を聞いたことがない企業。
あるいは反対にメンタルヘルスに警戒感さえ示す企業。
その差は驚くべきほどの開きがある。

ある商社に行ったら、社長さんに「メンタルヘルスを進めるとしたら二代目がいいだろう」と言われた。
何故なら、創業者は従業員は自分の子供と思って教育しているから、メンタル面のことを外部に委託しないだろう。

しかし二代目は、自分で従業員を育ててないから、従業員との間のコミュニケーションがうまくいかず対策を外部に委託する可能性がある。

社長さんも創業者で、「私は絶対に外部には委託しない」と言われた。
その、社長さんの言葉はとても重みと説得力があった。

知識、経験、が豊富で、なるほどこの会社には外部から入り込む余地はないと思った。
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# by cocoroshien | 2008-02-25 23:55

お見舞い

二週間ぶりにお見舞いに行ってきた。
新しい病院に移ってから初めてである。

個人病院にしては敷地も建物も広くて大きい。
だだっ広い駐車場にわずかの車しかとまってなかった。

エントランスは病院とは思えない。
病院特有の臭いもない。

受付で名前と患者との関係を書かされた。
今までで初めてのことである。

廊下、病室、談話室、休憩所、すべての空間にゆとりがある。
そこで働く看護師さんもゆとりがあるように見える。

ゆとりのある看護師さんに見てもらえる患者さんは幸せである。
ゆとりのある病院生活をおくることができるだろう。

体が不自由なのだから、せめて心だけでもゆとりを味わって欲しい!
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# by cocoroshien | 2008-02-23 23:57

第一巻 愛・光源氏

『五衛門倶楽部』から胡蝶蘭が届いた。

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カードには『第一巻 愛・光源氏』と書いてあった。
生産者は『有限会社・池園芸』

種子を植えてから出荷まで36ヶ月(3年)かかり、やっと花が咲くらしい。
春夏秋冬を三回繰り返し、丹精込めて作られたのだ。

私も一応農家の出だが、胡蝶蘭を育てるのにこれほどかかるとは思ってなかった。
サイクルがめまぐるしく変わる世の中にあって、今どきこれだけ時間をかけるものは珍しい。

3年も一緒に生活を共にしていると、情が移り別れ(出荷)は辛くなりそうだ。
昨日は最後の夜をハウスの中で皆と共に賑やかに過ごしたのだろう。

そして、今日はカウンセリングルーム『nicoシエン』で静かに過ごしている。
寝るときは声をかけてあげたいと思う。

寂しくないかい、と。
明日から、物言わぬカウンセラーになってください、と。


五衛門倶楽部の皆さん、池園芸の皆さん、これからもお身体に気をつけて、日本の農業の為に力を尽くしてください。
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# by cocoroshien | 2008-02-22 23:37

青い山

《分け入っても 分け入っても 青い山》

種田山頭火の代表的な俳句です。
真意のほどは分かりません。

素直に感じたままを表現すれば、行っても、行っても青い山ばかりと言うことでしょうか?
私は山が好きだったので、この感覚はよく分かる。

行っても、行っても山ばかりだと不安になってくる。
先に何があるか分からないからだ。

20代のときに奥多摩に行ったことがある。
関東では低い方の山なので、高をくくったのが間違いだった。

途中道に迷い、予定の時間をオーバーして山中で夜になったことがあった。
その時は、とても不安になった。

行けども、行けども山ばかりで、闇は襲ってくるし遭難したのではないかと思った。
幸い、下の方に民家の明かりが見えたときは、胸をなでおろした。

深い山を抜け出て、視界がパッと広がり、明かりが見えたときの感動はなんともいえなかった。
この感動を味わいたくて山に行ったのかもしれない。

この句には無常感が漂っている。
解決できない問題を背負って歩いている姿がある。

しかし、深刻な感じはしない。
明るさがある。

山を抜けると一本の道が見えた。

《まっすぐな道で さみしい》

実にシンプルである。
さみしさが伝わってくる。

人生も同じような気がする。
まっすぐだったらとてもさみしい。

紆余曲折しているから楽しいのだ!
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# by cocoroshien | 2008-02-21 23:28